京極夏彦、中山市朗、木原浩勝、東雅夫 『怪談の学校』 | Pの食卓

京極夏彦、中山市朗、木原浩勝、東雅夫 『怪談の学校』

怪談をテーマに据えて一つミステリを書いてみようと思い立ち、

一つ怪談をこしらえてみたのですが・・・

これがなんともはや、全く怖くない(笑)


本人が怖がりであるため、怖さのハードルが低いのかもしれません。

読んでくれた人に本の少しでも "怖さ" を感じてもらいたいため、

真剣に "怖さ" について考えてみたくなりました。


一般的に言われることに、"怖さ" を構成する要素として 「日常の崩壊」 があります。

平々凡々と続けられていた日常生活がほんのささいな怪異により瓦解してしまう。

怪談などでそういう話を聞くと、なんとも不安な気持ちになり、

その怪異が自分にも降りかかるのでは?なんてゾッとしてしまいます。


「日常の崩壊」 が故意的に作れるようになれば、それなりの怪談が創作できるのでは?

そう安直に考え、買ってしまいました。


本日紹介いたしますは、京極夏彦 他 『怪談の学校』


怪談之怪
怪談の学校

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怪を蒐め、怪を語り、怪を著す怪談をこよなく愛する怪談之怪、京極夏彦、木原浩勝、中山市朗、東雅夫の四人が、すべての書き手に怪談の作法を徹底的にレクチャー。

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僕が最もゾッとした怪談に、椎名誠の短編 "月の夜" があります。

ネットリからみつくような文体、ぞわぞわっとする語り手との感覚のズレ、

「悪逆咆哮七鬼面像の裏彫り」 「タブマノギャア」 など不可解な小物、

それらに対して 「桜」 「月夜」 「艶っぽい文体」 が美しい。

最後の一文のキレも素晴らしいと思ってしまいます。

( "月の夜" は椎名誠の 『ねじのかいてん』 に収められた一話です。 )


そんな怪談を書きたい!っと思って購入したのが本書。


結果から言うと、参考にはなりますが、本書の帯にあるような

「この一冊で怪談作家になれる!」

という表現には疑問を感じてしまいます;


怪談のスペシャリストたちが、素人の投稿した怪談を分析したり、添削したり、

その過程で "怖さ" のポイントを語ったりするわけですが、いかんせん主観的。

本人たちの口から 「客観的」 という言葉が連呼されているにも関わらず、

本書の肝心要である作家の分析が主観的な印象を受けてしまう…


例えば、「怖さのキモを設定する。」 と言われて、何人の人が実行できるだろう。

まず、怖さのキモってなんだろう?キモってどうやって設定するのかな?

設定したけどキモの場所ってここで合ってるのかな?

そういった疑問がふつふつとわいてきます。


そして悩める怪談創作者に与えられる助言はたった一つ。

「技術が必要とされるので難しい」

…この一冊で怪談作家になれる…

ハウツー本には騙されないつもりでしたが、見事騙されました;


そのように、怪談創作のマニュアルとして購入した場合、本書は期待外れに終ると思います。

しかし、悪い例→添削後、両方の文章を見比べていると、

作家さんたちが分析の中で言わんとしていることが何となくわかる。

受身的ではなく、能動的に理解しようとすることで教科書的役割を果たすのかもしれません。


何はともあれ、この 『怪談の学校』 でヒントをいくつか掴んだので、

オリジナル怪談、もう少し怖くできるかもしれません!?



追記:

現在、午前2時も過ぎ間もなく半になろうかという頃、

トイレの電気が突然、パチンッと切れました。

怪談を読んでいる最中だというのに、真っ暗なトイレに入ることになるとは・・・