清涼院流水 『ジョーカー 清』 | Pの食卓

清涼院流水 『ジョーカー 清』

『コズミック 流』 に引き続き今日も今日とて清涼院流水。

読んだ作品は 『ジョーカー 清』 帯にあるとおり、清流 in 流水の順に読み進めております!

しかし、何て読むんだろう? ジョーカーきよし、と読んでおりましたが、絶対違いますよね?


清涼院 流水
ジョーカー清

---------------------------------------------------

屍体装飾、遠隔殺人、アリバイ工作。作中作で示される「推理小説の構成要素三十項」を網羅するかのように、陸の孤島・幻影城で繰り返される殺人事件。「芸術家」を名乗る殺人者に、犯罪捜査のプロフェッショナルJDC(日本探偵倶楽部)の精鋭が挑む。

---------------------------------------------------


コズミックという大宇宙の中で踊る踊るジョーカー。

『コズミック』 において1200の密室殺人を予告した密室卿に対し、

『ジョーカー』 では36の本格推理小説構成要素を全て満たすべく、

連続殺人を打ち出した犯人<芸術家>そしてJDC所属の名探偵群・・・

1200の密室、36の殺人技、癖のある探偵たち、その一つ一つで推理小説ができてしまう。

こんなことをする作家は余程の・・・、天才です。


本格ミステリの本流の中、あちこちに点在するアンチミステリという名の渦。

その渦の中心にはいつもロンブローゾの 『天才論』 が見え隠れしている。

今回の清涼院流水の 『ジョーカー 清』 にそれがあったかどうかというと・・・

結論から言えば、無かったと言わざるを得ない。


何があったか?そこには遊び心、読者のみならず作者をも楽しませる稚気、

まるでオモチャ箱をひっくり返し、こぼれ出たオモチャの一つ一つを眺める楽しさがあった。

言い過ぎになるけれど、メタ・アンチミステリと言うよりは、泡坂妻夫の 『乱れからくり』 の稚気、

そちらの方に近いものを感じてしまった。


その原因は、『ジョーカー 清』 があまりにも 『虚無への供物』 を奉っていることにあると思う。

登場人物の名前、装置、読者に与えたい効果、どれを取っても 『虚無への供物』。
残る 『ジョーカー 涼』 『コズミック 水』 を読み終えていないため、感想は難しいものですが、

現時点において、『コズミック 流』 で感じた輝きは見られないように思えます。


その理由の第一は、3ページと待たずに繰り出される異化作用を狙った文章。

作家のトリック、ミスディレクション等々、それなりの意図があるのでしょうが、

異化作用というのは、「これは推理小説です」 と 小説内の人物に言わせることで、

読者に虚構であることを認識させ、現実世界にある虚構を認識させる効果がある。


しかし、それは効果的に使った場合に発揮されるものであって、

いわば伝家の宝刀のようにたった一度の鋭い切れ味に全てをかける意気込みで使わなければならない。

『ジョーカー 清』 のように濫用しては切れ味が鈍り、ただのなまくら刀になってしまう。

その結果、読者の中には食傷気味になる人も出てくる。


『ジョーカー 清』 がやりたかったことはとてもよくわかる。

また、清涼院流水が仕掛けた罠に快く乗ることもできる。

しかし、あまりにももったいない感じがしてならない。

作中に出てくる装置、そのどれもがもっともっと魅力的な問題に繋がるにもかかわらず、

それを知ってか知らでか、故意かどうかわからないけれど、充分に魅力を発揮できていない。


非常にもったいない《コズミックシリーズ》第2弾でした。


人物描写に関しては、『コズミック 流』 とは打って変わり、よりそれらしく書いているようです。

しかしながら、どうしても 『コズミック 流』 の方がより好ましく思えてしまう。

――技法の問題か、トリックの問題か、はたまた好みの問題か。

これから続く世紀末探偵神話に期待が高まります!