三島由紀夫 『美しい星』 | Pの食卓

三島由紀夫 『美しい星』

    人間の思想は種切れになると

    何度でも、性懲りも無く、終末を考え出した。

    人間の歴史がはじまってから、来る筈の終末が何度もあって、

    しかもそれは来はしなかった。

    しかし、今度の終末こそ本物だ。
    何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまったからだ。

                             (『美しい星』 羽黒教授言)


悲観主義、楽観主義、そういった主義主張、主観的な思考様式を突き放し、

現代社会を見つめてみると、私たちの住む世界というものが、いかに危ういものかが見えてくる。

もちろん、それは比喩として言っているわけではなく、物理的、現実的な問題としての話だ。


七月も半ば過ぎ、どうしてセミがミンミンジワジワ鳴かないのだろう。

どうして亜熱帯でしか生きられない昆虫が日本で生きていけるのだろう。

なんでモルジブという国が島を一つ潰したのだろう。

どうして子どもたちがこれほど互いに傷つけ合う世の中になってしまったのだろう。


ただ安穏と暮らしているだけでも、それくらいの疑問は心の内に沸いて来はしないだろうか。

テレビの情報から土地開発、温暖化、早熟、様々な要因が見つかると思う。

そしてそれらは概ね正しいことだと思う。


しかし、それら問題の要因が見つかったところで、一体何になろう。

私たちは滅ぶ運命にあり、宿命の定める通り、滅びなくてはならない存在だ。

自然の力により緩やかな下降曲線を描きながら滅び行く運命にあるのか、

気まぐれの核爆発により急勾配な下降曲線を描きながら滅ぶ運命なのか、

そのどちらかはわからない。 ただ私たちには次の氷河期を行きぬく力がないことは確かだ。


そのように私たちは滅びる運命にあることを前提として地球という星を見てみると、

その星のきれいなこと、その星の抱える生命の尊いこと、その星の持つ可能性の未知なること、

私たち人間がそれらをどうにかしようとすることのおこがましさをヒシヒシと感じてしまう。


あるがままに生き、生産できる限り生産し、破壊の限りを尽くす。

私たち本来の生き方を続けることの必然性を意識し、

控えすぎず、やりすぎず、中庸を保った個々の生活を営むことこそ、

この美しい星をより輝かす動力になるような気がしてならない。


本日紹介しますは、三島由紀夫のSF 『美しい星』 です。

弥がおうでも地球について考えさせられる文学作品ではないでしょうか。


三島 由紀夫
美しい星

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地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を、SF的技法を駆使してアレゴリカルに描き、大きな反響を呼んだ作品。著者は、一家を自由に動かし、政治・文明・思想、そして人類までを著者の宇宙に引込もうとする。著者の抱く人類の運命に関する洞察と痛烈な現代批判に充ちた異色の思想小説である。

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日本文学の持つイメージと最もかけ離れた小説だと思う。

過去百年の間に、一体誰が文学とSFを融合しえただろうか。

またSFといってもそれまでのSF論に忠実な正統派ではなく、

一家全員ばらばらの星から来た宇宙人であったり、オレンジと緑に光る安ピカものの円盤であったり、

とにかく初めから終わりまで破壊的かつ創造的な作品だったと思う。


破壊的かつ創造的、この二項対立すべき観念が両立する世界を描いた作品のようにも思える。

そしてその世界とは、つまり、私たちの住む現実的な世界であったりもするのだ。

つまり、逆理的な話ではあるけれど、このフィクションの最端にある 『美しい星』 の世界は、

ノンフィクションの最端にある私たちの住む現実社会と似通ったものがある。


荒唐無稽な設定であるにも関わらず、なぜかそこに一つの理性を感じてしまう。

その理由は、この小説が一個の思想をはらんでいるからだと思う。

その思想とは、思想無き現代における思想の復活、ではないかと感覚的に読み取れる。


作中、救う思想と滅ぼす思想の激論が交わされたりと、常に思想が話の主体となっている。

もちろんそこには美の追求者である三島の装飾が伴うわけだけれども、

結局のところ、単純化すると話の本筋は思想の有無に関わってくる。


思想が世界を変える。


荒唐無稽ではあるけれども、あながち的を外した話ではない。

思想は認識を伴うものであり、認識は世界を変える感覚でもある。

認識により視点を少し変えることで、世界はがらりとその姿を変えるからだ。

つまり、認識を生み出す思想こそ世界を変えることのできるものだと言える。

実際はどうであれ、三島は 『美しい星』 の中でそのことを実践している。


とにかく、これほど骨太なSF文学を読んだことは無い。

現代の文学作品にもこれほど骨太な思想は無い。

とんでもないSF作品を見せ付けられたような気がする。


ぜひ買い&読みです。